にっき

メイゲツタカハシのオナニーショー

11月16日

 

 

今朝はどんな夢を見たのか忘れてしまったが、悪い夢ではなかったと思う。

起きると、バイト先の社員が移動になった旨を伝えるラインが来ていた。かなり仲が良い(遅刻やその他驚異のズボラさがゆえに怒られる事も多かったけど)人だったのでとても驚いた。別に悲しくはなかった。今生の別れってわけでもないし。

移動先は池袋らしいので、また遊びに行くねとラインをした。計画を立てねば。

それからアディダスのプルオーバーパーカーとチェックのミニスカートを履くとアメリカの女子高生みたいになったので、久々にリュックサックで大学に向かった。このリュックサックは元々父親が使っていたもので、かなり年季が入っている。グランジという言葉では済まされない程度に。ところどころ穴が空いているので、修理しようと思いつつもめんどくさくてそのまま使っている(機能的には問題ないので)。

大学に着くと、ファッションの授業でルイ14世が双子だった、みたいな話の映画を見た。ハチャメチャに有名なのに、いつも名前が出てこない俳優が主演だった。最近悪徳オヤジみたいな役ばっかりやってる人で、昔はロミオとジュリエットとかに出ていて(あのトチ狂った設定の、カーディガンズのやつ)、と書いたところで検索すればいいことに気づいて検索した。レオナルドディカプリオだ。

いつも授業を一緒に受けている子がいなかったので、今日は2限だけ受けて家に帰った。洗濯がしたくて。しかし、乗り換え駅で長袖のTシャツが2枚くらいしかないということに気が付いたので、ZARAに寄って同じ形のシャツを色違いで2枚買った。

さあ帰ろうと駅に戻ると、靴下が6足1080円で売っていたので、ストッキング3枚と靴下3足を買った。また、定価500円のちょっといいストッキングが半額だったのでそれも買った。さらに、定価800円のかなりいいストッキングも半額だったので、それも買った、結果2000円近くも靴下に使ってしまった。飲み過ぎでかなり金欠なのに。爪に火を灯して生活せねばならないのに。しかもかなりいいストッキングに関してはいつ履くべきなのか自分でもイマイチわからない。しばらくおしゃれして出かける機会はなさそうなので、なめられたくないときに履こうと思う。勝負ストッキング。

そうしてなんとか家付近までやってきて、隣駅で降りて、松屋でおろしポン酢牛豚(並)を買って、そこから歩いて家に帰った。

家に帰るとなぜか食欲が消え失せたので、とりあえず洗濯でもしようと思い至り洗濯をした。思ったより洗濯物が少なくて驚いた。それから雑巾でも縫おうと思っているとお腹が空いたので、牛丼を温めて食べた。食後にコーヒーを飲んでいると急激な眠気に襲われ、いつの間にか眠っていた。

変な夢を見た。過激かつ複雑な夢だったので内容は割愛するが、とりあえず変な構造の家だった。押し入れの上に部屋があり、またその上にも部屋があるのだが、階段が一切存在しない家だった。

自分以外の人はどうなのかわからないが、夢に登場する人間は複数の知人がミックスされていることが多い。今日の夢は戦闘系だったのだが、対戦相手は高校のときの同級生と大学の同期が混ざった感じの人であった。対戦相手のお母さんが登場したのだが、そのお母さんは完全に高校の同級生のお母さんだった。意外と優しかった。お父さんも登場したのだが、厳格そうではあったものの、印象の薄いひとだった。最近よく戦う夢を見るので、検索してみると、ストレスだなんだと書かれていた。だいたい夢診断とか夢占いといったものはイマイチ信用していないのだが、ついつい調べてしまう。そして「奥歯が抜ける夢は大切な人を失う暗示!」みたいな小見出しを見て、たいそうげんなりするのである。なら見なければいいのだが、結局また全裸で衆人環境にいる夢なんかを見たりしていそいそと検索してしまうのだ。結局私はどんなに格好つけていても結局は夢に意味を求めてしまうタイプの人間なのだろう。

うたた寝から目覚めると時計の針が5時半を指しており、朝なのか夜なのかわからなくて少し焦った。胃がもたれていてしんどかった。さっぱりおろしポン酢牛丼なのに。

意識がはっきりしてくると急激に暇な気がしたので今日買ったストッキングの中で一番かっこいい気がしたパッケージのフォントをパクろうと思ったがイマイチうまくいかなかったので適当なところでやめてなんとなくステッカーにできるようにした。

そして今更雑巾を縫うのもめんどくさくなってきたのでこうして日記を書いている。

久々に2日連続で日記を書けたのでしばらく続けたいと思う。

 

 

おしまい

11月15日

 

 

感動しやすい人が苦手かもしれないと思った。

 

今日はわりと幸せな夢を見て爽やかに目覚めた。8時ごろだったと思う。

うだうだしているとキワコからラインが来たので、なんとなく返していた。最近大人になったのでキワコの話をきちんと聞くようにしたらラインするペースが上がった気がする。ただただキワコに好きな人がいるからその話をしたいだけかもしれない。ちなみに次にキワコが失恋したら、わたしはどこかしら僻地へ逃げるつもりだ。

すると立て続けに(という表現が正しいのかはわからないけれど)かっかちゃんからもラインが来たのでコーヒーを飲みながらなんとなくチャットをして、最終的にかっかちゃんのことをたくさん褒めて終わった。

天気がいいので洗濯でもするか、と立ち上がるとメールが来ていて、作業をせねばいけなくなったのでパソコンで作業をしていた。

気がつくと14時ごろだったので、昨日買ったシーフードヌードルを食べた。

それからまた作業をして、21時ごろにお腹が空いたので昨日買った豚汁とチャーシューを食べた。どんだけ豚肉好きなんだと思われそうだけど、わたしは鶏肉が一番好きで、その次がジビエ系の肉(鹿とか馬とか)、その次が牛で豚はわりとベベタだ。今日たべたチャーシューは死ぬほど不味くて何かしらチャーシューじゃない味(食べ物ですらない何か、ぴったりな形容詞があったのに忘れてしまった)がして、驚いた。前に食べた時にはそんな味じゃなかった記憶があるのに。しかし前に食べた時は泥酔していた記憶もあるので今日感じた味が正しいのかもしれない。

そして野暮用を全て終えたので干からびたジャッキーカルパスをつまみにペットボトルのワインを飲みながらこうしてブログを書いている。

そういえばお酒を飲むのは久々だ。いや、飲んではいるのだが、一人で本格的に出来上がるために飲むのは久々かもしれない。干からびたジャッキーカルパスはなんとなくカルボナーラみたいな味がする。塩辛い肉と胡椒が合わさっているからだろう。

全然関係ないのだけど、いまフレンズをテレビで流していて(前はフルハウスを流していた)、ちょうどロスとレイチェルに子供ができてしまうあたりなのだけど、偶然撮れてしまった(勢い100%の)行為中のビデオを見て二人で「わりといいじゃん」「そっちこそ」みたいなこと言える関係性っていいなあと思った。基本健全な友達なのがまたいい。憧れはしないけど。

一人で家にこもっていると何も書くことがない。当たり前だけど驚く。

さて、ワインが空いたら洗い物でもしてお風呂に入って寝よう。

 

 

 

 

8月5日

 

気がついたらもう8月だ。怒涛の1ヶ月が終わった。下手をするともう二度と現場に行くことはないかもしれないと思うと、かなり寂しいものがある。でも、自分で決めたことだしとりあえず今やりたいことをやるしかないと思う。ほぼ直感で決めたけど。とはいえ、今まで人生の分岐点に立った時に悩んだことが一度もないので、きっとこれでいいのだと思う。今までの人生に悔いなんてひとつもないし。

今までお世話になって来た諸先輩がたには申し訳ない気持ちが少なからずあるのだが(いろいろ教えてもらったのに)、今後かならず世界に貢献する女傑になるから許して欲しいと考えている。

 

今までの人生にまったくもって後悔はないが、「もしも」については考える。もしも東京ではなく地元の大学に進学していたら、とか言い寄って来た適当な男に処女を捧げていなかったら、とか両親が教師じゃなくて陶芸家だったら、とか。しかしそのどれも今のわたしより不幸な結末を迎えていそうなので、特に落ち込むことはない。いま嫌なことや理不尽なことが全くないとは言わないが、もしもその嫌なことや理不尽なことを避けていたら、いま感じることのできるささやかな幸せも感じることができなかったのだと考えると、まあいっかと思うのだ。わりと能天気なのかもしれない。

 

今日は疲れて13時半まで寝てしまい、そのあと清算に行く予定だったが頭が痛かったのでしれっと日程をずらした。そしていま花火をすべくたくみんの家に向かっている。が、電車を間違えたせいで半蔵門線を行ったり来たりしていたせいで大幅に時間と携帯の電池を食っている。

花火を買うために渋谷に向かったのだが、日曜で、しかも夏休み中の渋谷はわたしが知っている渋谷じゃないみたいで楽しかった。だいたい、夏休み中の夕方というのは不思議な空気感を持っている気がする。

実家にいた頃、夏休み中にハブ駅にある図書館で勉強したことがある。「したことがある」というのは要するに日常的に勉強していたわけではなく、たまに行っていたということだ。本を読むのが苦痛ではないわたしにとって図書館というのはあまり集中できる環境ではなかったのと、そこまで勉強しなくても成績が悪くなかったのと、単位制の高校だったので適当に課題の少なそうな授業ばかり選んでいて勉強すべきことも大してなかったというのが最大限の言い訳である。話を戻すと、そうしてごくごく稀に図書館で勉強し、夕方家に帰ってくると汗びっしょりになる(わたしの実家はわりと山の近くにあるため駅からわりと急な坂を登り続けなければならないのだ)ので、まずシャワーを浴びていた。すると仕事に行っていた両親が帰って来て、「今日は疲れた」だのなんだの言いながらスーパーで買ったお惣菜やらそうめんをテーブルに並べてくれる。そうしてシャワーを浴びてから夕飯を食べるのだが、そうするとものすごく夏を感じるのだ。今日渋谷を歩いている時にそれと同じ気分になった。なんなのだろう、この気分は。クランクアップの開放感といつのまにかはじまっていた夏休みへの期待がこうさせるのだろうか。

 

そろそろ実家に帰る算段をつけなければ、母がいじけそうである。普段さんざん母親と仲が悪いというネタを各方面に披露しているが、なんだかんだ愛されているのだ。ただ、愛が介在してたって母娘の関係はむずかしい。

 

この夏休みは馬鹿みたいに本を読みたい。しかも小説。もちろん海とかにも行きたいのだが、夏前半に日差しを浴びすぎたので後半は引きこもりたい。でも、映画を見るよりも小説が読みたい。べつになんだっていいのだ、ラノベでも純文学でも。文芸学科の友達におすすめを聞いて回ろう。それから東京に出て来てから一度も行ったことがない図書館へでも行こう。うちから徒歩圏内に図書館があるはずだ、きっと。そうしよう。

 

ああ、なんだか夏らしい日記になってしまった。

 

おしまい

 

6月4日

 

5時に起きた。便秘気味なのかお腹が張っていて何度もトイレにアタックしたが、成果がなくて二度寝した。

8時40分に再び起きた。その間、インド人の王子様みたいな人に求婚される夢を見ており、割と真面目に起きたくなかったが、腹部の張りを感じて再びトイレにアタック。アタックの甲斐なく撃沈したので、昨日から見ているnetfilxの「ズンボのジャストデザート」を見ながら昨日作ったグリーンカレーを少し食べた。「ズンボの〜」というのはアドリアーノ・ズンボという天才パティシエが出した課題に答えるスイーツを制限時間内に12人のお菓子作りマニアが作る、という割とよくある形の料理番組である。しかし、毎回課される課題の下位2人には「ズンボ・テスト」という追加課題が出され、そのテストで低い得点を取ってしまった方の人が脱落するのだ。このズンボ・テストの内容が毎回恐ろしく複雑かつ奇抜で、かなり見ものである。もちろんこれにも時間制限があり、なかなか完成させられなかったり、雑な仕上がりになってしまったりするのだ。この追加テストに番組の半分くらいの時間が割かれていて、前半の本テストはむしろおまけだと思って見ている。出演者もパリピ上がりのカリスマ主婦だとか、weezerのボーカルみたいなメガネ青年だとか、レンガ職人など、色んな人間が集っていて楽しいのだ。毎回1人が脱落するのだが、嫌なやつが脱落すると思わずガッツポーズをしてしまうほど入れ込んで見ている。

その後化粧をし、学校に向かった。最初は翻訳の授業だったのだが、毎回毎回先生の日本語訳に疑問が残る。最も、私は意訳しすぎるタチなので、文法や原文に基づいた先生の訳を面白いと思えないのは当然なのかもしれないのだが。

春休みはシムシティをしたりタバコを吸ったりしているとあっという間に過ぎた。

その後、金子と同じアジア映画の授業を受けた。

それから映画音楽の授業を受けていたのだが、あまりに退屈で手足が震え始めたので、途中で抜けてバイト先で使う靴を買うためにに池袋へ行った。

先代のエアフォースは、エアのおかげなのかフォースのおかげなのかクッションが効いていて意外にも快適だったのだが、底に一見してわからないほどの小さな穴が空き、そこから空気が入っているべき場所に水が入り、さらに靴の中に浸透しまくって悲惨なことになっていたので少し前に捨ててしまったのだ。

最初はパルコにあるABCマートで買おうと思ったのだが、ここのところのマイブームであるスケッチャーズの取り扱いが少なかった上に、唯一気に入ったリーボックの靴もサイズがなかったので諦めてサンシャイン通りにある大きい店舗へ行った。池袋は嫌いなのでなるべく歩きたくはないのだが、これ以上普段履きのスニーカーにラー油をこぼすのは御免なので我慢して向かった。

特にスニーカーが好きだというわけではないのだが、ソールが白い黒ボディのスニーカーがどうしても好きになれない。別に自分以外の人が履いていても特に気にはしないのだが、自分のお金で買うのはどうしても嫌だ。バイト先で使う靴なのでデザインを追求する意味は全くないのだが(どうせラー油まみれになるし)、それでも白ソールは許せないのだ。

スニーカーを選びながら、私はゴツいスニーカーと合うような服を持っていないくせにゴツいスニーカーがめちゃくちゃ好きだということに気がついた。ゴツい靴ばかりに目がいくのだ。しかし、今持っているスエードのエアマックスは4月以来履いていないし、インスタポンプフューリーに至ってはほぼ出番がない(色が赤だというのも災いしている)。悲しいことに、手持ちの服とゴツめのスニーカーが見事に調和しないのだ。というか、夏になると基本的にサンダル族と化すのでスニーカー自体必要としていない。にもかかわらず、今日もABCマートでこれ以上のゴツさはないだろうと思えるほどにゴツいトレッキングシューズに目を奪われていたし、ネットサーフィンしていて見つけたスケッチャーズのゴツめのスニーカーの購入を検討しているので、恐らく私はまたゴツいスニーカーを買ってしまうのだろう。もうこれはビョーキといっても過言ではないかもしれない。

結局、スケッチャーズのメンズスニーカー(ソールは黒でややゴツめ)を買った。それから電車に乗ってバイト先に向かった。今日はシフトではなかったのだが、靴を家に持って帰るのがめんどくさくて靴を置くためだけに行ったのだ。どっちの方がめんどくさいかについては深く考えないことにする。バイト先に着くと、昨日ラインで「早く靴を買え」とわざわざご丁寧にリマインドしてくれた社員がいて、靴を買ったと報告すると褒められた。靴を買ったぐらいで褒められるパーソナリティとは如何なものかと思わないことはないが、素直に喜んだ。根が素直なのだ。それから、可愛くて大好きなフリーターの女の子(といっても年上)に「めっちゃ痩せてない?」と言われてかなり嬉しかった。私は自分の体系に自信があるわけでもないわけでもないので、他人から意見されるととても参考になるのだ。

バイト先を出ると、携帯が電池切れになりそうだったのでドコモショップで充電をしつつ、某電気屋ファストファッションストアの複合店で単4電池と制汗剤を買った。

それから恵比寿に向かい、アジア映画の授業で課されたレポートを書くために恵比寿ガーデンシネマで公開されている香港映画を見た。面白いのかどうかは果てしなく疑問だった。というか面白いか面白くないかで言えば面白くはなかった。香港の特定の人々にとってはかなりノスタルジーを掻き立てる作品なんだろうな、とは思ったが、ズンボ風に言うと「要素を盛り込み過ぎているね」という感じだった。そもそも恵比寿は嫌いなのに帰り際にドラマかなんかの撮影をしていて、それも相乗効果となってかなりダークな気持ちになってしまい、フィルマークスにわりと悪意満載なレビューを書いてしまった。悪意を盛り込み過ぎたとはいえ、嘘は書いていないのでよしとしたい。

そこから電車に乗って、最寄り駅に着くとコンビニで牛乳とビール、それからサラダ類を買って帰宅した。

帰宅してからは再びズンボを見た。お腹に余裕があればサラダとタイカレーを食べるつもりだったのだが、甘そうなお菓子を作る番組を見ていると食欲が失せてサラダだけ食べてからダラダラとビールを飲みつつズンボを見続けた。

気がついたら0時半だったので、ズンボを止めてからシャワーを浴びて、ビッグバンセオリー を見ながらブログを書くに至る。

忙しい一日だった。普段のペースだと3日かけてやることを1日で終えてしまったので、今後3日は暇だと信じたい。

 

 

おしまい

 

 

12月13日

 

 

朝、起きて誰でもいいから男に会いたい気分になったので、イシラムの授業をサボって家でマックを食べながらネットサーフィンをしたりマッチングアプリで人間に絶望したり低用量ピルを買ったりした。死ぬほど寂しくて孤独で自分みたいな人間は一生愛されず死んでいくのだとか考えてみたのだけど、あまり現実味がなくて途中で断念した。逆に人生で一度でも他人に心の底から愛されるという経験ができる人なんて一握りなのではないだろうか、という仮説も立ててみたのだけれど、これまた現実味がなかった。真偽のほどは定かではないが、人間は漠然とした希望を頼りに生きているのだろう。強い。

バイトの時間より前に新宿へ行って買い物をしようと思っていたのだが、うだうだと準備をしていると微妙な時間になったのでバイト先の控え室で同い年の男の子と給料やシフトについて話しつつ、シフト入りの時間まで時間を潰した。

今日は仲良しの社員が居なかったのだが、以前その人にわたしが「幸せになりたいねえ」と言うと返された「すぐ股を開く女だから幸せになれない」という言葉を反芻しながら野菜をドレッシングで和えたり念力で客を帰らせようとしたり、2018年の目標を発表したりしていた。そして、落ち着いて考えているからこそできる反論を考えていた。すぐ股を開く女でも幸せそうな女はいる、さらに今わたしは自分が不幸だなんて言った覚えはない、今でも十分ハッピーなのだけど、今以上にハッピーになりたいから「幸せになりたい」と言っただけなのだ、さらに加えるとわたしはすぐ股を開くような女ではない、等々。あまり頭の回転が早くないので、ときどきこういうことがある。会話が進むスピードの範囲内で自分の思いをうまく伝えられず、数日後に「あの時わたしが言いたかったのはこういうことだったから、こういう風に言えばよかったんだ」と頭の中で考えてしまう。そんなこと考えたってどうにもならないのに。

ラストオーダー間際にお世話になっている人から電話がかかってきて、仕事を手伝って欲しいと依頼された。お手伝いしたいのは山々なのだが、アルバイトのシフトや大学の試験があるのでできるかはわからない、と答えた。その人に初めて会ったのは18だか19だかの時で、右も左もわからないわたしをいい意味で面白がってくださって、それ以来折々声をかけてくれるのだけど、その度々に「高橋さんの瑞々しい感性が〜」等の過ぎた褒め言葉をいただくのが心苦しい。わたしは瑞々しい感性を持っているのだろうか。はたまたわたし自身が瑞々しいのか。わたしとしては生まれてこのかた瑞々しいものを敵として排除することに勤しんでいるのだが、そこが逆に瑞々しいのだろうか。わからないけど瑞々しいわけでも瑞々しいものが作れる才能があるわけでもないような気がしているので、聞くたびに申し訳ない気分になる。ただ、いいお話をいただいたので相思相愛(だと勝手に思っている)の料理長にシフトを調整できないかお願いしておいた。相思相愛(だと思う)なので割合快諾してくださって人間は素晴らしいと思った。

バイトが終わった後、仲のいい同僚と途中まで一緒に帰った。道中、依頼を受けた仕事の内容について話した。その仕事自体はとてもやりたいのだが、クレジットカードの支払いが追いつくか不安だと漏らすと、呆れられた。

そうして帰宅し、今湯船に浸かりながら日記を書いている。湯船から上がったら閉店間際の西友で買ったプライムリッチを飲むつもりだ。

 

11月19日

 

一昨日くらいからたくみんが来ていたので朝起きてもたくみんがいた。9時ごろに一度目が覚め、その後二度寝して10時に目が覚め、たくみんを起こそうと試みたものの起きなかったので三度寝をして結局11時20分に起きた。

12時までにゲオにDVDを返さなければいけなかったので、たくみんとゲオに向かった。外に出ると恐ろしいほどいい天気で非常に清々しくてうれしい気分になった。最近たくみんと遊びすぎているため特に話すことがなく、道中はほぼ無言だった気がする。でも、ゲオに着く直前にクリスマスリースを玄関ドアに飾っている一軒家を見たたくみんが何かを言ったきっかけで将来の家庭の話になり「俺は将来節分の豆まきの時鬼になって、子供をギャーギャー泣かせて、終わったあとお面とってお父さんだよ〜ってやってもギャーギャー泣かれて、結局それから3日ぐらい怖がられるの」的なことをたくみんが言った。それを聞いて、もし仮に自分がたくみんの息子として生まれていたら、ものすごくパパっ子になっただろうな、とか娘だったらお父さんのことは大好きなんだけどちょっと距離のある父娘関係を築くことになるんだろうな、とかそういうようなことを考えた気がする。

ゲオでDVDを返却して、新たにスイート17モンスターを借りた。ゲオにはヤングアダルトニューヨークもあって、来週はそれを借りようと思った。それから歩いて北口へ行き、本当はうどんを食べるつもりだったのだけど、うどん屋を探すのが面倒になった瞬間パンコントマテの看板が目に入って、うどんの気分になっていたたくみんに無理を言ってパンコントマテであさりのパスタを食べた。先週扁桃腺炎による高熱でほぼものが食べられなかった影響からいまでも食が細くなりがち(でも酒を飲んでると割と食べられる)なので、3/2ぐらいで限界が訪れて、残りはたくみんに食べてもらった。たくみんは「夢だったんだよな、子供が食べ残したの食べてあげるやつ」などと言いながら食べてくれた。どれだけ将来の子供の話するねんと思った。食後のコーヒーにコーヒーフレッシュと大量の砂糖を入れたら叱られて、久々に人から叱られたことに感動した。

私の母親が私を叱る時は基本的に「あんたええ加減にしいや」とか「ええ加減にしなさい」と言った。幼い時から母親に叱られる時のタイミングが私にはあまり読めなくて、叱られている時、なぜ自分が叱られているのかわからないままに母親からまくし立てられ、なぜ叱られているのかわからないので反論もままならず、ひたすらに悔しかった思い出が数多くある。今思えば自分に非があることが多かったのだが、当時の私としてはよくわからない場面で叱られてばかりだった。例えば、目玉焼きを焼くのを失敗した時に、ウジウジと悲しみに浸っていたら、唐突に母親からの「あんたいい加減にしいや」が飛んで来たことがあった。記憶が定かではないが、おそらく母親も最初のうちは慰めてくれていたのだと思う。しかし、私があまりにもしつこくウジウジとしていたので堪忍袋の尾が切れたのだろう。今ならわかる。しかし、当時の私としては勝手に悲しんでいたら先程まで慰めてくれていた母親から急に「いい加減にしろ、そんな態度で居られたら見てるこっちが不快だ!」と言われ、訳がわからないまままくし立てられて、反論もままならず、ただでさえ悲しいのに叱られてまた悲しく、さらに反論できなくて悔しく、理不尽だと思いながらビービー泣く以外の選択肢がなかった。母親がなぜ自分を叱るのか(それも落ち込んでいる時に)わかったのは、大学進学を機に上京してしばらく経つ頃だった。私は落ち込んだ時のウジウジが半端なくしつこくて、事が起きてから3時間は軽く引きずって悲しみや後悔に浸るタイプだった。しかも、他人からするとかなりどうでもいい事でそれをやるので、母親がイラつくのも納得である。上京して、必ずしも味方ではない大人や友人と渡り合っていく上で見事に精神的な図太さが身についてしまった私は、やっとそのことに気付いたのだった。

それから家に帰って先日借りたDVDを見た。割と単調な映画だったのでたくみんは途中で飽きたらしくギターを弾き始めた。恐らくたくみんが前にやっていたバンドの曲とか、多分ラカンターズのやつとか。こっちは映画見てんだけどなあ、と思って一度うるさいと言ったが辞めなかったので諦めた。たくみんは映画がつまんなかったと言っていて、その時は私も同意したのだが、今思うと悪くない映画かもしれない。

それから、たくみんが唐突に鯛茶漬けを食べたいと言い出したので、パルコに釜めし屋ならあるよ、と教えると食べたいと言うので一緒に行って夕飯を済ませた。釜めしが出てくるまでにかなり時間がかかったのだが、話す事がないので、タバコを吸ったり、久々にインストールしたキャンディクラッシュをして時間を潰した。案の定釜めしも完食ならず(惜しいところまでは行った)、またたくみんに食べてもらった。

釜めし屋を出て、たくみんを見送って、家に帰ってぼーっとネットサーフィンをしたり軽く掃除をしたりしていたらあっという間にこんな時間になっていた。早くシャワーを浴びて寝ないと。

11月13日

 

 

7時に起きたものの、そのままずるずると寝てしまい11時48分に起床した。

学校へ向かう道中聞いていた、the Big Moonのformidableという曲がなぜかものすごく心に刺さって、今日一日中聞く羽目になった。

まず体育実技(ゴルフ)の授業をやり過ごし、早めに終わったので学校のコンビニで500ml缶のコーラを買って飲みながら文芸棟へ向かった。その道中、ジョージに会った。ジョージは日常生活において私よりも頭を使っていなさそうな男の子で、なかなか良い体をしている。手を振ると、「ああ、なっちゃん」と言っていた。

文芸学科はゼミ誌の締め切りシーズンの文芸棟であったが、いつもとなんら変わらない雰囲気を漂わせており、さすが文芸学科、などと思っていた。ゼミは雑談をしているといつのまにか終わっており、電車で帰る道中永田さんとラインをしていると一緒に映画を観に行くことになったので、一度家に帰って化粧をしてから有楽町に向かった。

シネスイッチで『婚約者の友人』を見て、高架下の居酒屋で映画の感想などを言い合った。

これはわたしの悪い癖なのだが、別れ際になると途端に寂しくなってしまった。これが女の子相手であると、甘えた口調で「朝まで飲もうよ〜」と言ってしまいがちなのだが、相手は一応社会人の健全な青年なので、グッとこらえて有楽町線のホームへ向かうエスカレーターに乗り込んで、振り向きさえしなかった。別れ際に振り向けない女なのだ、私は。振り向くなんて真似をしてしまえば、相手が誰であろうが(例え「生理的に無理」というカテゴライズの男性であろうと)寂しくて寂しくて泣きそうになってしまうためである。本当に人と別れるのが苦手だ。

そうして有楽町線に乗り込んだ。しかし永田町あたりで尿意を催し、池袋で我慢できず下車してトイレに行った。そうしていま池袋線に乗って帰っている。駅に着いたら、たくみんにでも電話をしようか迷うところだが、他人との別れ際で発生した寂しさをたくみんで発散させるなんて、最低なやり口なのでどうしようか迷う。しかも一昨日も寂しさをやりきれずにたくみんを利用したばかりである。いいかげんこんなこと馬鹿っぽいのでやめたいのだが、寂しさが我慢できないし、それ以上に永田さんに対してものすごい無の境地であったことを報告したい(楽しかったけど)。どうしようか迷いつつ、今日こそ1時には寝たいとは思う。

それにしても、ひさびさに飲んだビールとハイボールは驚くほどに美味かった。