にっき

メイゲツタカハシの日常

10月11日

 

 

朝はイシラムの授業に行った。あと一度でも休むと単位を落とすと言われているため、這ってでも行かなければならないのだ。

中国語の授業は楽しい。イシラムに中国語を少し勉強したことがある人として認識されているためなのか、たまにガチの中国語でベラベラと話し掛けてこられて、それに適当に相槌を打っている瞬間が特に楽しい。そういえば、イシラムは他の生徒がわりと意味わかんない発音をしても、適当に「発音が良かったですね」とか褒めるくせに、わたしが何をどう読んでも褒めなくて、いつも歯痒い思いをしていたのだが、今日初めて褒められた。なんなんだよイシラム。ツンデレなのかよ。それとも今までのわたしの発音があまりに壊滅的だったのか。

 

そういえばこの間見た夢がサイコーだった。

なんらかの音楽イベントに岡江久美子と一緒にフードブースを出店する、といった内容の夢だったのだが、わりと山あり谷ありだった。

前日に仕込んでおいたマッサマンカレーベースおよびベーコンが入ったトマトクリームソースが手違いで演者の黒人に食べ尽くされてしまったのだ。わたしは心の汚い人間なので、カレーベースが入っていた鍋が空っぽになり、トマトクリームソースが残り1/5ほどしか残っていない光景を見た(夢だけど)瞬間はその音楽イベントに出るなんらかのバンドのグルーピー(楽屋にいた)の仕業だと思った。しかし、今冷静に考えてみると、仕込んだものたちを黒人たちの宿泊部屋に置いていたので、普通に考えて食べていいものだと思われたのだろう。反省している。でもあのグルーピーの女たちは純粋に態度が悪かったし嫌いだ。

まあ、そんなこんなでこのままではフードブースが出店できないので岡江久美子とわたしは取り急ぎ新しいメニューを考え始めた。わざわざ新メニューを考えなくても元々やるつもりだったメニューの仕込みを急いでやればいい話だったのだけど。何はともあれ、岡江久美子がありえない速度で新メニュー(塩ラーメンとたこ焼きと、あと3つぐらいあったのだけど思い出せない)を考え、試作を作ったのでわたしは盛り付けとかにいろいろとうるさく口出ししたり粉末タイプのかつお節を塩ラーメンにかけてみたりしていた。すると、例のムカつくグルーピーの一人がやってきて、ムカつく態度でメニューを早く出せ、印刷が遅れるだろ、的な感じで煽ってきたのだが、言ってることはごもっともなので急いでメニューを書いて渡した。

開店間際になって、岡江久美子が試作を全部やってくれたので自分は一切メニューを作れないということに気がつき、急いで岡江久美子を探した。すると岡江久美子は道端の10人乗りハイエースの近くで何かしらの関係者と話をしていた。岡江久美子がいる場所にたどり着くには横断歩道を渡らなければならないのだが、信号はずっと赤のままである。迫る開店時間。焦ったわたしは「オカクミちゃーん、たこ焼きって何で焼いたのー?」と叫んだ。すると岡江久美子は「あの、半球になってるバットみたいなやつを2個使って挟んだよ〜〜」と教えてくれた。わけのわからないたこ焼きの作り方である。しかし、岡江久美子たこ焼きのつくり方を教えてくれている際、「今わたし岡江久美子のことをオカクミちゃんって読んだけど、岡江久美子のことオカクミって呼んでる人いないし自分自身呼んだことないのになんで今オカクミちゃんって呼んだんだろう…てか岡江久美子?え?なんで?」などと考え始めており、次の瞬間には目が覚めた。

起きると友達が隣で寝ていて、ものすごい勢いで現実に引き戻された。岡江久美子と築いた友情もあのムカつくグルーピーも全部夢だったのだと思って、さみしい気分になりながら学校へ行った。

 

小さい頃にみた骸骨の話と同等くらいにいい雰囲気の夢だった。骸骨の話はまた今度眠くない時にしようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

10月10日

 

 

もうすぐ21歳の誕生日だ。

 

それとは1ミリも関係ないのだけど、ストロベリーショートケイクスの話をしようと思う。あれを消化するには二段階の手順を踏まないといけないと思っていたのだけれど、実は三段階あったことに気づいたっていう話だ。

ストロベリーショートケイクスを初めて読んだのは多分中学生くらいの時で、なんとなくポエティックなところと絵のタッチが好みだったので読んだのだと思う。その時は話の内容とかよりも雰囲気に酔っていた。この、雰囲気モノとして消化するのが第一段階。

そして、上京してすぐだから18やそこらの時に、第二段階。当時東京に友達がいなくて(今だって大して居ないけど)つまらなさすぎてひたすら実家から持って来た本や漫画を読んでいた。ふとストロベリーショートケイクス手にとって読んでみると、あーこれすごいわかる、えーこれってこう言う話なんだー!ってもう感動。中学生のときはフワッとしか理解できなかった、話に登場するメンタルヘラり気味ガールズの気持ちがもう、すっごいわかる。見た目がまあまあカワイイOLちひろちゃんがそんなに好きでもない男と付き合って、だんだん男なしでは生きていけぬ状態になっていく過程とか、それに耐えきれなくなった男がちひろちゃんを無残にも捨てるところとか、「そっちが好きって言うから付き合ったのに、どうしてわたしの全てを受け入れてくれないの!おかしいじゃん!」的な物事に対して感情移入して読めるようになったのだ。まあちひろちゃん以外の女もだいたいメンヘラなんだけど、おそらくちひろちゃんケースが一番この世界で頻発しているのでは、と思う。とまあ、こういった具合で男ってやっぱり無責任だよね、っていう消化の仕方をするのが第二段階で、それで完結だと思っていたのだけど、今日読んだら実はそうじゃなかったのだ。

だってこれ男悪くないじゃん!完全に悪いのちひろちゃんじゃん!やだよそんな頼られたら!って思いました、今日。もうなんかちょっとこの話書くのめんどくさくなってきた。

 

あと、なんとなく母親に電話した、今日。京都の畑で1.5キロのイモが採れたという報告を受けた。それ以外に特筆して話すべきことがないと言う母親が父親に電話をパスし、父親とも少し喋った。父親とは引っ越し先の話をした。

母も父もわたしが大学を卒業した後実家に戻るのではないかという希望を捨て切っておらず、(いや、もちろんそういう可能性も無いとは言えないけど)なんとなく心苦しい。別に戻ったっていいんだけど、実家。でも、夏とか年末に帰省する度に色々なものを消耗して東京に帰ってくるし、そもそも東京に「帰ってくる」と思うようになった時点で実家に戻る気は無いんだと思う。うわー、わたしが親なら泣いちゃうなこんなの。

 

あと、やっぱり学校に行くのは大事だと思った。

 

 

そんな感じで3ヶ月ぶりくらいに日記的なやつを書いた。早く寝よう。

 

 

 

7月17日

 

 

この土日、名古屋に行ってきた。

幼なじみの結婚式と披露宴で、何故か招待状が来たのでついでにstiffslack に行くことを主な目的として行って来た。

 

新婦側の友人として招かれていたのだけど、披露宴の席の周りはだいたいみんな大学時代の友人だったみたいで、なんとなく気まずいし話すこともなくて暇なので新郎側の招待客をみてヤれる/ヤれないゲームをしていた。8割ぐらいヤれるに分類された。

あと、ビンゴ大会的なやつでネスカフェのサーバーが当たったのでベストジーニスト賞を受賞した時の観月ありさみたいなテンションで受け取った。しかしうちに来てコーヒーを飲みたいという人がそんなにいないので対処に困っている。うまく言ってながたさんの会社に置かないかなあと思っているのだけど、スタジオってだいたいすでにコーヒーサーバー置いてあるので多分もらってくれない。

だいたい、ながたさんって女性ホルモンの塊みたいなゲロ甘い飲み物とかゲロ甘い食べ物が好きなので、そもそもいらないんだと思う。この前シャノアールで会った時もキャラメルなんとかラテみたいな名前のコーヒーフレーバーの牛乳を飲んでいた。あと名古屋のお土産で小倉トーストラングドシャを買ったと伝えるとありえないほど喜んでいた。女性ホルモン取りすぎだからあんなグラビアアイドルみたいな喋り方なんだと思う。

 

披露宴は滞りなく進んで、わたしが大嫌いな両親への感謝の手紙コーナーとかもないし、新郎新婦がこだわって編集したなりそめビデオとか、すっごい良かったし、なんかすごいいいお式でわたしも結婚したくなっちゃった〜〜!とか言ったけど、ものすごく自分と遠いものを感じてしまった。ていうかぶっちゃけこんなの私には無理だと感じた。

 

その理由をいろいろ書こうと思ったんだけど、気分が乗らないのでやめてかずやの話をしようと思う。

名古屋から帰って来て、ほんとうはながたさんとごはんに行く予定だったのだけど、風邪をひいたとかでわたしが小田原あたりで新幹線にゆられているときに「帰る」と言われた。でも誰かとぶらぶらしたい気分だったので何人か友達を誘った。しかしみんな予定があったり連絡がつかなくてなんとなくかずやを誘ったら、ひまだったみたいなのでかずやと御霊祭りをひやかしたあと神楽坂の安い居酒屋で飲んだ。かずやといると無駄に喋らなくていいんだと思うから楽だ。というか、基本的にもう話題が尽きている感がある。かずやはベロベロになったらわりと面白い(「僕は〜〜〜、割と酔ってる〜〜」と自己申告してくる)ので、わたしとしてはいっぱいお酒を飲んで欲しかったのだけど、明日は予定があるとかで全然飲んでくれず、つまらなかった。話すことがないので名古屋のジュンク堂で買った宮本輝のエッセイを読んでいると、かずやが「最近のミツメギャルみたいな人たちが相米慎二好き、みたいな風潮がムカつく」と言ったので確かにちょっとムカつくけど映画も音楽もそういう扱いをされる運命にあるから仕方がないじゃん、という思いを込めて「あー」と言いながら頷いておいた。それから3分ぐらい沈黙した後、「なんで好きなんだろうね」と質問してみると、「さあ」と言われた。わたしは「どうせ川辺素がそういうの好きなんでしょ」と思ったけど何も言わずにヘラヘラ笑っておいた。無言でタバコの煙をかけあったりお互いの顔をまじまじとみるのもやめて帰ることにした。

帰り道、かずやのベルトがベロンと出ているのに気づいたので、引っ張って犬の散歩みたいな気分を味わっていたのだが、サリバンの高いベルトだからやめて、と言われて引っ張るのはやめた。かずやは二人で歩いているとわたしの二の腕をつかんで歩くのだけど(ウディアレンが同じことをしていて嬉しかったらしい)、それをされなかったので少し寂しかった。

飯田橋の駅について、ベルトを離すとかずやがバイバイと手を振ったので、寂しかったけど地下鉄の駅に入った。もうしばらくかずやには会えないような会いたくないような気がした。win-winな関係ってどうして長く続かないのだろう。まあしばらく経ったら連絡しよう、そうしよう。かずやは暇人のボンボンだから、きっとまた遊んでくれるだろう。

 

 

 

3月31日

 

今日の副題は『だからわたしは友達が少ない』にしたいと思う。

 

明日は通しのバイトで、少し憂鬱だ。

バイトが憂鬱なわけではないのだ。おそらく、春だから仕方がない。そして春だから自分というものを見つめ直して色々とぐるぐると考えてしまう。

 

今日(もう昨日だけど)は金子がうちに来て一緒に部屋を片付けたりクッキーを作ったりした。そうしながら色々とこのモヤモヤについて話していた。

 

まず、社会不適合者になりたくないという切実な思いについて。ものすごくはっきり言わせていただくと、わたしは自分を社会不適合者と称してヘラヘラしている大人が大嫌いだし、そんな大人になるくらいなら舌噛み切って死んだ方がマシだ。社会に全力で適合しに行くのが人生だと思っていた。でも、最近気づいたのだけど、多くの人たちがわざわざ意識せずとも社会に適合しているのだ。というか社会不適合者を自称している大人はだいたいちゃんと適合している。なんの苦痛もなく、むしろ楽しそうに、己を曲げることもなく。

わたしは別に自分を変わり者だとは思っていないし、むしろ「変わってる」とか「個性的」とか言われると悲しくなる。わたしは本当にどこにでもいるミーハーなブスだ。何も変わっていない。普通の考え方をして普通に生きている。でも、だいたいの人はわたしを「変わってる」というカテゴリーに入れて理解を放棄する。それはその人とわたしの間に価値観・人間観・哲学的思想・政治的思想・趣味など、ざっくり言うと「考え方」分類される箇所にすこーしズレがあるだけなのに。その少しのズレのせいで、わたしはその人の「身内ゾーン」には入れてもらえなくなる。特に同世代の間だと。完全なる被害妄想だというのは頭ではわかっているのだけど、それを飲み込むには喉元のあたりがどうもムズムズする。

 

少し関係がある話なんだけど、これも少し前に「『わたし変わってるんだよね』っていう女(の子)って多分ものすごく幸福な人生を歩んで来たんだろうね」という内容の話をこれまた金子とした。まさにそのままの意味である。ある一部のジャンルの女の子たちからものすごく反論が飛んで来そうなんだけど、彼女らは本当に幸福なのだ。まあ、彼女らの苦悩はあるとは思うのだけど、それでも幸せだ。彼女らは愛されるべき人間だし、これからも愛され続けるのだろう。

あるいは、わたしや金子っぽいジャンルの女も以前はそうだったのかもしれない。物心ついた直後くらいまでは。しかし、マイナーリーグでプレーする実力しかないのにメジャーの一軍で補欠として練習に参加させられている野球選手のようなティーンエイジを過ごしてきた我々は、その過程で引き返せないところまで曲がってしまったのだ。人間性が。

だから不幸なんだ、とかそんな無責任なことは言わない。だって、そもそも自分が悪いのだ。人間性が托鉢並みにねじれ倒す前に「自分は一軍のプレイヤーをする実力はないのだ」と認めてマイナーリーグに移ればよかったのだ。しかし、それを認めるにはプライドが高すぎたし、中途半端に知恵も身につけてしまっていた。しかし、一軍にいるのはほとんど苦痛でしかない。周りが楽々やっていることが自分にはできない。しかし周りにとっては生まれた時から自然とできていたことなので、わたしたちの苦悩は理解できないし、そうした苦悩があることに気付きすらしない人もいる。もちろん、その人たちにだって苦悩はある。しかし、それはわたしたちの苦悩よりもっと高尚(に見える)なもので、そんな高尚な悩みを持てることにすらわたしたちは劣等感を抱くという始末だ。

 

そうした結果「誰もわたしを理解してくれない」とか言う toe みたいな被害妄想が出来上がってしまったのだ。幸か不幸か。

しかし、人付き合いはうまくできないけれど、物を書く上でこの性質はまあ悪くはないと思う。根性が曲がっていた方がいいこともあるっちゃあるのだ。まず、人付き合いがうまくて友達がたくさんいたらものを書く暇なんてなくなってしまうだろう。

 

他にも「こんなにも彼氏が欲しいのは社会不適合者だと思われないためだ」とか暴論を吐いたりもしたけど、あれには自分の中でもまだ迷いがある。というのも、正直わたしは基本的に恋愛感情イコール性欲というフロイトっぽい(フロイトについてちゃんと勉強したことがないからわからないけど)論を比較的所構わず展開する派なので、要するに性欲がアレなのかもしれないのだ。春だし。でも、そういうことをしたいと全くもって思わないけど彼氏が欲しいのだ。なんならチューすらしたくないし、手も繋ぎたくない。しかも生理的に無理な人以外ならなんでもいい。なんかこう、彼氏がいるってものすごーく社会に適合している感じがするのだ。だから、欲しい。その理由が一番しっくりくる。

 

 

とまあこんな感じで春の夜は更けてゆく。ちなみに金子と作ったクッキーは恐ろしいほど甘くてしばらく沈黙した。

 

 ああ、ほぼ100パーセント自分語りで書いてしまった。まあ春だし、仕方がない。

 

 

 

 

 

3月13日

 

 

 

身内に不幸があって、実家に帰ってきている。父方の叔父が亡くなったのだ。こういうことを書くのって、あまりに個人的だし良くないことのような気がするけど、書き残しておこうと思う。

 

11日の未明、アルバイトから帰ってきて、大学で唯一もとい唯ニ仲のいい友達(金子アンドサブちゃん)とラインをしていた。金子とは「PMSがひどいのでピルを飲もうか迷う」みたいな話を、サブちゃんとは「ふたりきりで夜を明かして手すら握って来ない男はホモなのか紳士なのか」みたいな話をしている時だった。

おそらく2時過ぎ、母親から突然「たったいま叔父さんが亡くなりました」という内容のラインが来た。本当に突然。急変した、とか入院した、とかそういう前触れもなく、突然亡くなったという連絡がきたので、恐ろしく趣味の悪い冗談なのではないかとすら思った。あまり覚えていないのだけど、まず最初に「こういう連絡もラインで来るんだな、今時」と思ったような気がする。

 

そのあとは「悲しい」とかそういう感情よりも、バイト先に休むことを連絡しなければ、とか喪服はどうしようか、とかそういった心配ばかりが浮かんだ。わたしは恐ろしく冷たい姪なのかもしれない。でも言い訳をすると、「叔父さんが死んだ」という事実にいまいち現実味が感じられないときに、無理矢理それが現実だと実感するために時間を割くよりも、その事実に付随して確実に起こるであろう通夜葬式等の心配をしたほうがスムーズに物事が進むのだとなんとなく気がついていたからなのだと思う。そう思いたい。

 

いざお通夜になるとなんだかんだ実感が湧いて泣いたり悲しくなったりするのかと思いきや、意外とそうでもなかった。祭壇に飾られた叔父の写真とか、その前にある棺桶とか、涙目になっている叔母(亡くなった叔父の姉に当たる)の顔とか、そういうものを見てもやっぱりどうしても実感がわかなかったのだ。セレモニーホールで行われる通夜や葬式にありがちな、オルゴールバージョンの「言葉にできない」や「ハナミズキ」のBGMとか、白々しい司会進行のアナウンスとか、意味がわからないくらいスピリチュアルっぽい音楽に包まれた中でのお坊さんの入場とか、そういうものも手伝って、もしかすると不謹慎なことなのかもしれないけれど、ディズニーランドのアトラクションに乗っているかのような気分になっていた。楽しいわけではないのだけど。

 

やっと実感がわいたのは、棺桶に入っている叔父の顔を見た時だった。構成する原子は何も変わっていないはずなのに、生きている人と死んだ人の体は確実に違う。死んだ人の体は肉体というよりも物体と呼んだ方がしっくりくる。顔を見た瞬間、ああ本当に死んだんだ、と思ってその瞬間叔父さんと最後に会った時のことを思い出した。今年の年明けだ。

 

成人式があったので実家に帰ってきていたわたしは、実家の近くにある祖母の家に行った。なぜ祖母の家に行ったのか、詳しい理由は忘れたのだけど。叔父には生まれつき障がいがあり、ずっと独身で祖母と一緒に暮らしていたので、祖母の家に行くと自動的に叔父にも会うことになるのだ。別れ際、叔父がトイレに行ってしまっていたので、トイレの外から「またね」と声を掛けた。特に返答はなくてそのまま帰った。

あの時返答を待っていれば良かっただの、もっと叔父さんと話せば良かっただの、そういった類の後悔はない。ただ、死んだ叔父さんの顔をみた瞬間、そういったことを思い出して「あああれが最後だったんだ」とやっと実感して悲しくなって少しだけ泣いた。

 

よく「お通夜やお葬式は故人を偲ぶためにあるのと同時に遺族が悲しみ過ぎないためにある」というようなことを聞くのだけど、それは本当にそうだと思う。お通夜やお葬式を執り行うにあたって、遺族は悲しみの当事者であると同時に、そのイベントのホストであらねばいけないのだ。通夜葬式特有のルールを復習し、いまいち誰なのかわからない親戚や故人の知り合いに挨拶をし、食事を手配し、お坊さんをもてなし、招かれた人々が不快な思いをしないように気を配り続けて、それらが全て終わった頃には疲れ果てて眠りにつく。死を嘆き悲しみ続ける余地はない。

もちろん、これはお客を招くタイプの通夜葬式の話で、本当に身内だけで行う小さな会(家族葬と呼ぶのだろうか)をするとなると話は変わるのだろう。わたしは父や母に常日頃から「死んだ時は家族だけの小さな式でいい」と言われ続けているのだけど、それはそれで辛いものがあるのではないかと思う。家族葬の場合、やることがないわけではないけど、やっぱり普通よりかは少ないわけで、疲れ果てて泥のように眠ることはないだろう。そうなった時、わたしは考えても仕方がないことを考え続けてしまいそうだ。そう考えると、やっぱりお通夜や葬式というのは100%故人のためだけにあるものではないのだと思う。

 

また、自分が死んだ時のことも考えたのだけど、わたし本人の意向よりも周りの人が一番納得して進められるようにしてくれたらそれでいいなあ、とか思っていた。それができるくらいの貯金をきちんとしようとも思った。

 

思いつつ、春物衣料の衝動買いが止まらない。最近買い物中毒気味だ。

 

 

 

 

 

 

1月23日

 

 

 

 

最近、幸せなような怖いような夢をよく見る。今日見た夢もそんな感じだった気がする。

 

朝起きると、金子から13時のバスに乗って学校へ行くとラインが来ていたので、わたしもそれに乗って行くことにした。二日酔いで若干テンションが高かったのでたくさん喋った気がする。この日記を読ませたら「面白い」って言ってた。金子は笑っても暗い印象が拭えないのが不思議だ。

 

来年から、コースの専攻がわかれる。わたしはシナリオで、金子は批評を専攻する。だから、一緒に受ける授業がかなり減ることになる。不思議な感じ。でも金子の書く批評なのかコラムなのかわからない文章はすきだし、ふーんって感じなので頑張って欲しい。まあわたしは身内に甘いから客観的に読めているのかは謎だけど。

 

今日はもう専攻ごとにわかれてのガイダンスだったので、金子とは別だった。金子以外に何人か話したことある子はいるんだけど、グループが出来上がっていて怖くて話し掛けられず、孤独だった。でも、居場所がない感はある種わたしのアイデンティティで、中高時代から今までいつ何時も感じ続けているので、やり過ごしかたは熟知している。そういえば中高時代、今よりも友達の数は多かったにも関わらず、いまよりも孤独だったような気がする。気心が知れていて、過ごした時間も長い友達がたくさんいたのだけど、なんだかいつも居場所がないような気がしていた。こちらに来てからはシンプルに友達が少ない孤独を味わったせいで、そんな種類の感情は忘れていたのだけど、年明けに同窓会があって、その時久しぶりにその感覚を思い出した。みんなのことは嫌になる程よく知っているし、きっとみんなもわたしのことを嫌になる程よく知ってるんだけど、知っているからこそ分かり合える限界値が見えてしまっていて、大げさにいえば永遠に埋まることのない大きな溝が浮き彫りになっていたような、そうじゃないような。決してそれはみんなのことが嫌いだとかそういうわけじゃなく、みんなのことが好きだからこそ、その溝の深さに軽く絶望するような、そんな感覚がずっとあった。まあ、それはもしかすると誰もが抱えてる問題で、わたしがひとりで大げさに悲しんでるだけなのかもしれない。よくわからない。

そういえば、同窓会の前日に中高時代の同級生とお酒を飲んでいたのだけどその場で「お前はブスのくせになぜそんなに自信があるんだ、きっと自分のことを可愛いと思っているんだろう」的なことを言われて、正直ムカついた。それって要するに「ブスの女=価値がない∴自信を持っているブスの女=自己認識が甘い」というひどい論理なんだもん。可能であればフェミニストを30人ぐらい呼んで「女性の価値を見た目でのみ判断するのはおかしい!」とかそういう感じで弾糾して欲しかった。でも、うーん。あえて冷静に答えるけど可愛いと思ってはいないと思う。もちろん化粧した自分の顔を見て「おっしゃ可愛い可愛い」と自己暗示的に言い聞かせることぐらいはするけど、これって女の子誰もがやることなんじゃないかと思っている。ていうかそうじゃなかったらわたし死ぬほど恥ずかしい。

ブスのくせに自信があるように見えるのは、きっと自信満々で周りを下に見ないと悲しくて惨めでやっていけないからなのだ。しかも、周りを自分よりブスだと見下してるわけじゃなく、ちゃんとそれ以外の要素で見下してるし、別に全員のこと見下してないし。だから許して欲しい。ていうか逆に常に自分を「ブスだから身の程をわきまえて生きないと…」みたいなスタンスを常に持ってたらきっと生きていけないし。いや、わたしだってブスだとわきまえた行動を取ることだってちゃんとあるし。安心して欲しい。

 

話が全然違う方向に飛んでしまったのだけど、専攻別のガイダンスでは、最初の課題の説明とその過去作を見た。知ってる人が結構出てたりして個人的にかなり面白かったんだけど、少し不安になった。2年前だったら「うーん面白くない」で切り捨ててたような気がするけど、今日は知ってる人があまり上手くない演技をしているのを抜きにしても「結構面白い」と思って見てしまったからだ。「このカット微妙じゃない?」とか「この台詞よくないなあ」とか「これってオールアフレコなの?」とか思う箇所はあったにせよ、「この芝居がいい」とか「この展開、ありがちだけど気持ちいい」などと普通に面白いと思って見たのだ。前より細かく分析できるようになったということなのかもしれないけど、それってどうなの?と思う。「ここはよくないけど、ここはいい」という細かい分析によって、感覚的な判断が鈍ってしまうような気がする。感覚的な判断を論理的な判断に置き換えられるようになってきている、ということなのかもしれないけど、それってなんかどう対応していいのかわからない。このまま大人になるにつれて、グレーだった緩衝地帯がどんどん小さくなっていって、いつか完全に白と黒に別れてしまう日が来るのかもしれない。そうなったとき、わたしは果たして今のようにある程度はシナリオが書ける人間であり続けられるのだろうか。ただでさえどんどん書けなくなってきているのに。ああ、恐ろしいけどとりあえず進むしかない。

 

今日は感情的で青臭くてちょっとうってなりそうな日記になってしまった。

ああ、そうだあと一つだけ書いておきたいことがある。最近「エモい」を多用する大学生が多いけど、彼らは容易にエモいを使いすぎなのではないだろうか。例えば我々の年代だと、3年くらい前の思い出が詰まった写真を見ての「エモい」はわかる。感情が動いて心がぎゅーっとなって、懐かしさと恥ずかしさが同居するような感じ。でも、明日の飲み会に可愛い女の子が揃ってると聞いての「エモい」は違うんじゃないだろうか。それには「アガる」とかそういう軽い言葉で対処しようよと密かに思っているものの、そこでは謎のブスマインドを発揮してしまって「ブスが流行語の用法について語るなんておこがましいかな」とか「ていうかそんなに言葉の用法について厳しくある必要ってあんの?」とか色々考えて何も言えなくなってしまう。

ただ、今日のこの日記は確実に「エモい」はずだ。やっぱりわたし自己認識甘い?

これからはもう少しシンプルに生きたいと思います。

 

 

 

 

 

1月22日

 

 

 

朝起きたら14時半だった。寝るのが遅かったといえ、何時間寝てたんだろ。

母親から着信が6件も来ていたので、驚いて電話するとゆうパックがついていなくて連絡が来て、わたしに電話をしたらしい。余計なお世話も甚だしい。これは母親に対してではなくゆうパックの配達員に対して、だ。だいたい、ゆうパックの配達員は「何様?」っていう態度で電話してくるし、電話してきたあとわたしより早く電話切るしで失礼だなあと前々から思っていた。好きじゃない。

 

そのあと、17時から友達の自主映画の打ち合わせがあったけどやむをえない用事ができたと伝えて取りやめて、洗濯機をまわした。現に洗濯物が死ぬほど溜まっていたし許してほしい。でも、19時から全体顔合わせがあったのてそれには顔を出そうと思って、適当に化粧をして行った。しかし財布を忘れた。基本的に知らない人は敵なので顔合わせではみんな嫌いだったけど、その後の飲み会で話すとだいたいみんないい人だった。ただ、ひとりだけいけ好かない男の人がいて、その人が今度わたしのバイト先に来るとか言い始めてまじ勘弁してくれ、と思った。自分のうんちくを語り出す男は嫌いだし、かっこよくないのに女にモテる男は嫌いだし、かっこよくないのに女にモテることをほのめかしつつモテない自虐を始める男は本当に嫌いだ。ここまで嫌いを連呼すると逆に好きみたいな少女漫画的なフラグが立つのが常なのだが、本当に嫌いだ。でも、結局その男含む5人と朝まで飲んでいた。朝まで嫌いだった。

店を出て、歩いていると例の自主映画にわたしを誘ってくれた友達といけ好かない男が一緒に消えた。なんとなくイヤーな気分になって、財布を忘れたという事実と2人ともそのあたりの地理に詳しくないことをいいことに、その友達の友達と2人で「お金がなくて帰れない」とか「今どこにいるのかいまいち検討がつかない」とかラインを送りまくった。どうせ向こうはお楽しみ中だし返信は来ないだろうと高を括っていたのだけど、驚くべきことに返信がきた。その友達の友達とわたしは自らの勘ぐりと行動を恥じて、しかし嘘は突き通して、その友達と合流して千円借りた。本当にお金はなかったし。お金を貸しに来てくれると知った時は2人とも「なんていいひとなんだ」「こんないい人を疑った我々は心が汚れている!」とか言い合っていたわたしたちだったのだけど、いざその子が現れるとまたゲスの勘ぐりが始まった。というのも、その子はコートも羽織らず走ってやって来てくれたのだけど、「えー、帰ってたのにごめんね(この時点で若干カマをかけている)」「コートも着ずに…」などと言うと「うん、、、、」となんとなくぎこちない雰囲気で、さらにわたしたちが駅へ帰るのと同じ方向に家があるはずが、お金を貸してくれた場所で解散し道路を渡ってよくわからないビルへ入って行ったのを目撃してしまったのだ。わたしたちは、よくわからないけどあれは2人で意図的に消えたと結論づけて、適当なコンビニでその子から貸してもらった千円で海鮮肉まんという肉なのか魚なのかいまいちわからない具の入った肉まんを食べて帰った。

だからと言って、いけ好かない男と消えた友達とわたしの友情が壊れるということはない。これが女の友情のややこしい、男の子からすると「怖い」部分なのだ。きっと、次に会った時わたしとその友達とはお互いに何も知らないふりをしてスムーズにコミュニケーションを取るのだと思う。ああ、自分で書いてても異常。でも大人ってそういうことだよって篠原涼子が言ってそうだし、頑張って生きていこう。

 

なんか、今日は嫌いなものばかりだった気がする。そういえば飲み会でも「なつきちゃんって嫌いなもの多いよね」って言われてさらに「アンチテーゼの塊みたいな」って言われてアンチテーゼというワード自体にピクリとしてしまった。

 嫌いなものが多いというか他人の嫌な部分しか見つめられないのかもしれない。はじめは欠点なんてない、素晴らしいところばかりだと思ってても最後には素晴らしいと思っていたことが決定的な欠点になってたりもするし。まあこれが熟年離婚の原因になるとかよくテレビで言ってたりするから普遍的な感情だと思うんだけど。まあそれはそうとして、嫌いなものをすぐに嫌いだと表明するからなのかもしれない。ブロッコリーきらーい、マヨネーズきらーい、サチモスきらーい、池袋きらーい、わざわざ一眼で撮った写真をインスタグラムに上げるやつきらーい、みたいな。しかもそれに大した理由なんかないし、ブロッコリーとマヨネーズ以外は。でも、付き合いが長い人やものには愛とか情が湧きやすいチョロチョロパーソナリティだし、身内には甘いので一眼で撮ったブロッコリーにマヨネーズをつけて食べている写真を池袋で撮ってご丁寧に位置情報まで添えてインスタグラムにアップロードしてても許しちゃう。ああ、これ自分語りだ。嫌い。