にっき

いろいろ考えます

あるアマゾン女の失態 1

 

 

 タバコを吸い終える時、もう消そうと思っているのに、どうしてもあと一口余分に吸ってしまう。もう既に満足して消そうといるはずなのに、いざ行動に移そうとするとなんだか名残惜しくなってしまうのだ。深川くんとの関係を終わらせようとする時もそうだ。もうこんな関係になんのメリットもない、もう連絡するのはよそう、と痛いほどに思いつつ、一方で彼の生ぬるい体温がどうしても恋しくなって、ついつい彼に連絡してしまうのだ。

 

 深川くんと私は、もともと高校時代のクラスメイトだ。しかし、本格的に仲良くなったのはごく最近で、つい半年ほど前のことである。彼は高校時代、良いように言えばイケている、悪いように言えば頭の足りない生徒たちとつるんでいた。私はといえば、クラスメイトと口を聞くことにはそこまで不自由はしなかったものの、友人と呼べるのは柳井くらいのものだった。卒業からおよそ5年後、私はその柳井を通して深川くんと出会った。

 柳井は高校時代から腐女子界のカリスマとして校内に君臨していた。とはいっても、彼女は男性同士のまぐわいに限って興味を持っていた訳ではなく、広く全般的な性行為に対して人並み外れた好奇心を持ち合わせていた。そのため、高校時代には彼女の地味なルックスに反したその性知識の豊富さやその創作物(彼女は漫画、小説、男色、百合問わず、なんでも書けた)の素晴らしさに感動した信者が多く集まっていた。さらにその信者たちはほぼ全員腐女子だったことから、柳井自身も純粋な腐女子であると多くの生徒から思い込まれていた。しかし当の本人である柳井は、処女を早く捨てたい一心で敬虔なカトリック系女子校の中等部からわざわざ外部受験をしてうちの公立共学高校に入学したというほどの強者であり、他人の性交渉に関してはベラベラ喋るくせに自身の性交渉に関してはなぜか保守的な柳井の信者たちとは一線を画していた。そのため、彼女は常に処女膜を破ってくれる相手を探していたのだが、同級生の男子はみな後ろの穴の安全を危惧して柳井と付き合うことを避けた。そうして私と柳井は処女のまま高校を卒業した。

 柳井は地元である大阪の大学へ、私は東京の大学へとそれぞれ進学し、徐々に疎遠になっていたのだが、大学4年の冬前、就職先が決まってだらだらと卒論に取り組んでいた時期に柳井から突然連絡が来た。柳井が上京して就職する旨や、その就職先がソープランドである旨を伝えられ、はじめは人並みに驚いてみたりもしたものの、高校時代の彼女の度を超えた言動の数々を知っていた私としては、落ち着くところに落ち着いたな、という所感を持った。それ以来私と柳井は、一緒に物件の内見をしたり、時には共に街コンに繰り出して男漁りをするようになった。

 私が就職したのは大手IT企業の下請け会社で、給料はそこそこであるが、繁忙期を除いては基本的に定時で退社できる、私のようなお気楽OLにはうってつけの会社だった。にも関わらず、同期として入社した8人のうち3人は5月のゴールデンウィーク明けに会社を辞めていた。ちょうどその時期のある日、柳井から深川くんと飲んでるから新宿まで出ておいでよ、という連絡が入った。その日は金曜で、例のごとく17時に退社した私はスーパーで夕飯の食材を調達しているところだったので一度は断った。しかし、家に帰ってキッチンでビールを飲みつつガパオライスを作り始めた途端、深川くんがどんな顔をしていたのか猛烈に気になり始め、完成したガパオライスを皿に盛る頃には新宿に行って深川くんの顔を確かめたい衝動に駆られていた。そうして結局、私は綺麗に盛った皿にラップをかけて、柳井に今から新宿に向かうと連絡をした。

 私が合流したころには、深川くんは既に潰れており、机に突っ伏して眠っていた。柳井はざるである上に飲むペースもかなり早いので、それについていこうとすると多くの人は1時間で潰れてしまうのだ。深川くんに一応挨拶はしたものの、ほぼほぼ昏睡状態だったので、どんな顔をしていたのか確かめるのは諦めて柳井と私の処女膜についての話をした。柳井が大学一年生の新歓コンパでやけに酒を勧めてくる男の先輩を相手に処女を喪失したのに対し、私はサークルにも入らずにぼんやりと4年間のキャンパスライフを過ごしてしまったせいなのか、未だに男性経験がゼロだった。20歳を過ぎた頃、さすがに焦り始めたのだが、今更サークルに入って私の処女膜を破ってくれるような先輩を探すほど能動的にもなれず、ずるずると処女を引きずってしまった。柳井はそんな私をどこか神聖視している部分があり、やたらとその話をしたがるのだ。

 深川くんが目を覚ましたのは、いっその事女性向けの風俗にでも行ってしまおうかと言って柳井に止められている時だった。彼は割と端正な顔立ちをしているのに、突っ伏して寝ていたせいでおでこのあたりに袖口の痕がくっきりと付いているし、半目だし、はっきり言って間抜けだった。しかし、高校時代の軟派な雰囲気もしっかりと残っており、私は念願叶って高校時代の彼の姿をありありと思い出すことができた。深川くんは氷が溶けてもはやアルコール分が含まれているのか怪しい焼酎のロックを口に含み、私に久しぶりと声を掛けた。久しぶり、と言われても高校時代に彼と話した記憶が無いに等しい私としては、初めましての方が適切な気がしたのだが、久しぶりと返した。深川くんが高校卒業後すぐに上京し、名のある写真家の元でアシスタントとして修行しているのは到着してすぐに柳井から聞いていた。柳井は興奮気味に自分の宣伝写真を撮ってもらおうかなどと言っていたのだが、目元に線を引いてインターネット上にばら撒くようなものをプロにお願いするなんて失礼だからやめておけと助言しておいた。柳井が改めて宣伝写真の話を深川くんにしようとし始めたので、私は急いで「最近はやっぱりフィルムですか、フィルムレコンキスタですか」などと話しかけた。すると深川くんはレコンキスタってなんやねん、溝口って相変わらず面白いな、と笑ってフィルム写真の流行について話し始めた。正直写真のことについて明るいわけではないが、適当に相槌を打ちながらマイブリッジの連続写真で馬は飛んでいなかったが実際0.000001秒くらいは飛んでいる気がしてならない、などと言うと、俺おまえみたいな女の子初めて会ったわ、と言われた。

 私はこの手の言葉をよく男性から言われる。初めて言われたのは高校2年生の時で、相手は私のクラスで音楽を受け持っていた非常勤講師だ。その非常勤講師は20代中半の男性で、やたらとビートルズの話をしたがり、学校の非常階段で生徒や他の教師に隠れてタバコを吸っていた。なぜ私がそれを知っているのかというと、柳井が学校を休んだ日に私は必ずその非常階段で昼食を摂っており、幸か不幸かタバコをくわえた男性講師と鉢合わせしたのだ。その講師は甘えたような口調で私に口止めをし、持っていたガムをくれた。私は特に言いふらす予定も相手もなかったのでおとなしくガムを受け取り、少し離れた階段に腰掛けて弁当の風呂敷包みを開いた。すると男性講師は驚くべきことに学校の敷地内でタバコを吸う理由(主に学校という組織への反抗心からくるものらしい)について滔々と語り始めた。それならもっとわかりやすい所で吸って組織の構造に一石を投じてみれば良いものを、と思いつつ、私はその演説を聞くともなく聞いていた。そして、演説を終えた男性講師は、なぜか私がそれに全面的に同意したものと受け取ったらしく、痛く感動し、例の言葉を吐いたのだった。「君みたいな女の子、初めて会ったよ」と。それ以来私はわかりやすくその講師から贔屓されるようになり、その年の成績表では好きでも得意でも意欲的でもなかった音楽の成績欄に5と記されていた。

 それ以来、大学時代のバイト先や、学生課の就職担当者など主に年上の男性を中心に様々な男性からこう言われることが増えていった。「君みたいな女の子は初めてだ」と。しかし、残念なことにそう言ってくる男性は必ずと言って良いほど私を性的対象として見ていない。よくよく考えると当然の話ではあるのだ。目の前に生姜焼き定食とアマゾンの秘境で捕獲された新種の魚の塩焼きがあれば、アマゾンに興味を惹かれることは間違いないが、食欲をそそるのは圧倒的に生姜焼き定食である。ごくたまにアマゾンに手を出そうとする好き者もいるだろうが、アマゾンにだって意地やプライドがあるのでちょっと味見してみたい、くらいの人物に自分の体を安売りはできないのだ。

 

 しかし、アマゾンは翌朝気がつくと深川くんという得体の知れないナンパな男に味見を許してしまっていた。それも、記憶が綺麗さっぱり消えていたら良いものの、割合はっきりと事に至った成り行きを覚えていたのだ。目を覚ました当初、深川くんはベランダで洗濯物を干していたのだが、私が起きていることに気づくと、小走りでベッドにやってきて私の身体中にキスを落としていった。私は黙ってキスを受け入れつつ、変な意地を張って自分が処女であることを頑なに隠していた8時間ほど前の自分を呪っていた。キスの嵐が足先まで到達し、残りの洗濯物を干すべくベランダに戻っていった深川くんを無言で見送ると、出て行けと言われればいつでも出て行けるよう簡単に身支度をして床に正座した。洗濯物を干し終えて部屋に戻ってきた深川くんは、そんな私の様子を見てゲラゲラと笑った。

「まあ、確かに気まずいし居心地悪いよな。ごめんごめん、なんか俺も今日セックスするとは思ってなくてさ」

そう言ってクスクスと笑っている深川くんを見ると、昨夜の自身の痴態が否が応でも思い起こされ、こんな事になるならもっと早く女性向け風俗に行くべきだったと深く悔やんだ。私はなるべく後悔を悟られぬよう、努めて丁重に一宿の礼とそろそろ退散しようと思っている旨を伝えたのだが、深川くんはえーっと不服そうな声を漏らしながら正座を継続している私の横に滑り込み、肩に手を回した。まさか朝にも一発くらいは発射させてから帰るのが世間一般的なルールなのだろうか、などと不安に思っていると、深川くんは私の肩を撫でながら天気もいいし有楽町に映画でも見に行こうよと言った。天気がいいのならもっと他に選択肢があるだろうにとは思ったが、肩から伝わる深川くんの心地よい体温に心が傾きつつあった私は不用意にもその提案に乗ってしまったのだった。

 

 

(つづく!)