にっき

メイゲツタカハシの日常

8月5日

 

気がついたらもう8月だ。怒涛の1ヶ月が終わった。下手をするともう二度と現場に行くことはないかもしれないと思うと、かなり寂しいものがある。でも、自分で決めたことだしとりあえず今やりたいことをやるしかないと思う。ほぼ直感で決めたけど。とはいえ、今まで人生の分岐点に立った時に悩んだことが一度もないので、きっとこれでいいのだと思う。今までの人生に悔いなんてひとつもないし。

今までお世話になって来た諸先輩がたには申し訳ない気持ちが少なからずあるのだが(いろいろ教えてもらったのに)、今後かならず世界に貢献する女傑になるから許して欲しいと考えている。

 

今までの人生にまったくもって後悔はないが、「もしも」については考える。もしも東京ではなく地元の大学に進学していたら、とか両親が教師じゃなくて陶芸家だったら、とか。しかしそのどれも今のわたしより不幸な結末を迎えていそうなので、特に落ち込むことはない。いま嫌なことや理不尽なことが全くないとは言わないが、もしもその嫌なことや理不尽なことを避けていたら、いま感じることのできるささやかな幸せも感じることができなかったのだと考えると、まあいっかと思うのだ。わりと能天気なのかもしれない。

 

今日は疲れて13時半まで寝てしまい、そのあと清算に行く予定だったが頭が痛かったのでしれっと日程をずらした。そしていま花火をすべくたくみんの家に向かっている。が、電車を間違えたせいで半蔵門線を行ったり来たりしていたせいで大幅に時間と携帯の電池を食っている。

花火を買うために渋谷に向かったのだが、日曜で、しかも夏休み中の渋谷はわたしが知っている渋谷じゃないみたいで楽しかった。だいたい、夏休み中の夕方というのは不思議な空気感を持っている気がする。

実家にいた頃、夏休み中にハブ駅にある図書館で勉強したことがある。「したことがある」というのは要するに日常的に勉強していたわけではなく、たまに行っていたということだ。本を読むのが苦痛ではないわたしにとって図書館というのはあまり集中できる環境ではなかったのと、そこまで勉強しなくても成績が悪くなかったのと、単位制の高校だったので適当に課題の少なそうな授業ばかり選んでいて勉強すべきことも大してなかったというのが最大限の言い訳である。話を戻すと、そうしてごくごく稀に図書館で勉強し、夕方家に帰ってくると汗びっしょりになる(わたしの実家はわりと山の近くにあるため駅からわりと急な坂を登り続けなければならないのだ)ので、まずシャワーを浴びていた。すると仕事に行っていた両親が帰って来て、「今日は疲れた」だのなんだの言いながらスーパーで買ったお惣菜やらそうめんをテーブルに並べてくれる。そうしてシャワーを浴びてから夕飯を食べるのだが、そうするとものすごく夏を感じるのだ。今日渋谷を歩いている時にそれと同じ気分になった。なんなのだろう、この気分は。クランクアップの開放感といつのまにかはじまっていた夏休みへの期待がこうさせるのだろうか。

 

そろそろ実家に帰る算段をつけなければ、母がいじけそうである。普段さんざん母親と仲が悪いというネタを各方面に披露しているが、なんだかんだ愛されているのだ。ただ、愛が介在してたって母娘の関係はむずかしい。

 

この夏休みは馬鹿みたいに本を読みたい。しかも小説。もちろん海とかにも行きたいのだが、夏前半に日差しを浴びすぎたので後半は引きこもりたい。でも、映画を見るよりも小説が読みたい。べつになんだっていいのだ、ラノベでも純文学でも。文芸学科の友達におすすめを聞いて回ろう。それから東京に出て来てから一度も行ったことがない図書館へでも行こう。うちから徒歩圏内に図書館があるはずだ、きっと。そうしよう。

 

ああ、なんだか夏らしい日記になってしまった。

 

おしまい