にっき

メイゲツタカハシの日常

2月25日

  

バイトがあると思って銀座の某社に行って10分ほど作業していると、少し焦った様子の社員さんからシフトに入っていない旨を伝えられた。間違ってバイトに行くなんて久々だ(いつも行きたくなくてなんどもなんどもシフト表を確認するため)。

結局1時間だけバイトをして帰った。

 

せいじくんにバイトがなかったとラインをすると一緒に作業することになったので、一旦家に帰って洗濯をして、新宿でパスタを食べてから西武に行って作業をした。私は何になるあてもないシットコムのプロットや設定資料(もはや遊びである)を、せいじくんはなにやら学科の仕事をしていた。

作業をしていると学科の助手さんから「卒業シナリオの企画書を一ヶ月以内に出せ」というメールが来たので、プロットを書き終えた私は再びワードを立ち上げた。何も書いていないワードのページを見ると、少しワクワクする。ワードのページじゃなくても、白紙やノートの新しいページを見ると、ここから何をしようと私の自由であり、私の責任であると嬉しくなる。

しかし、企画書の内容は驚くほどに浮かばない。びっくりした。こんなにも何にも浮かばないことがあるのか、と。作業中のせいじくんに無駄にいろいろと話しかけながらポツポツ書いたりしていたが、「なんか違う」感が否めず、結局まっさらのワードに戻った。隣の席の人がイラっとすることを話し始めたので、嫌悪感なのかなんなのか聞き入ってしまい、余計に何も浮かばない。どうでもいい他人の会話は、基本的にイラっとするのだが、特にイラっとするのが悦に入っている人の会話である。

それはさておき、そんなこんなでもう夜も遅いし帰るか、ということで新宿を後にして一人で電車に乗って帰った。その車内で、なんとなく「愛しさ」の意味をネットで調べた。

www.weblio.jp 

おそらく知っていたはずなのだけど、愛というのはいわゆるハッピーでキュートでポップなものではないのだ、と。電車を降りて、帰り道に愛と憎しみの関連について考えていた。私のようなお気楽人間は「愛」なんてものとは距離を置いているつもりだけど、自分のことはそれなりに愛していると思う。しかし、自分のことを本気で憎んだことは一度だってない。というか、自分自身を心の底から憎いと感じられる人はなかなか居ないのかもしれない。まだ私の人生経験が浅いだけかもしれないのだが。

 

ということでこうしたことをテーマにして3月に入ったら企画書を書き始めようと決意した。

 

 

 おしまい