にっき

メイゲツタカハシの日常

1月22日

 

 

 

朝起きたら14時半だった。寝るのが遅かったといえ、何時間寝てたんだろ。

母親から着信が6件も来ていたので、驚いて電話するとゆうパックがついていなくて連絡が来て、わたしに電話をしたらしい。余計なお世話も甚だしい。これは母親に対してではなくゆうパックの配達員に対して、だ。だいたい、ゆうパックの配達員は「何様?」っていう態度で電話してくるし、電話してきたあとわたしより早く電話切るしで失礼だなあと前々から思っていた。好きじゃない。

 

そのあと、17時から友達の自主映画の打ち合わせがあったけどやむをえない用事ができたと伝えて取りやめて、洗濯機をまわした。現に洗濯物が死ぬほど溜まっていたし許してほしい。でも、19時から全体顔合わせがあったのてそれには顔を出そうと思って、適当に化粧をして行った。しかし財布を忘れた。基本的に知らない人は敵なので顔合わせではみんな嫌いだったけど、その後の飲み会で話すとだいたいみんないい人だった。ただ、ひとりだけいけ好かない男の人がいて、その人が今度わたしのバイト先に来るとか言い始めてまじ勘弁してくれ、と思った。自分のうんちくを語り出す男は嫌いだし、かっこよくないのに女にモテる男は嫌いだし、かっこよくないのに女にモテることをほのめかしつつモテない自虐を始める男は本当に嫌いだ。ここまで嫌いを連呼すると逆に好きみたいな少女漫画的なフラグが立つのが常なのだが、本当に嫌いだ。でも、結局その男含む5人と朝まで飲んでいた。朝まで嫌いだった。

店を出て、歩いていると例の自主映画にわたしを誘ってくれた友達といけ好かない男が一緒に消えた。なんとなくイヤーな気分になって、財布を忘れたという事実と2人ともそのあたりの地理に詳しくないことをいいことに、その友達の友達と2人で「お金がなくて帰れない」とか「今どこにいるのかいまいち検討がつかない」とかラインを送りまくった。どうせ向こうはお楽しみ中だし返信は来ないだろうと高を括っていたのだけど、驚くべきことに返信がきた。その友達の友達とわたしは自らの勘ぐりと行動を恥じて、しかし嘘は突き通して、その友達と合流して千円借りた。本当にお金はなかったし。お金を貸しに来てくれると知った時は2人とも「なんていいひとなんだ」「こんないい人を疑った我々は心が汚れている!」とか言い合っていたわたしたちだったのだけど、いざその子が現れるとまたゲスの勘ぐりが始まった。というのも、その子はコートも羽織らず走ってやって来てくれたのだけど、「えー、帰ってたのにごめんね(この時点で若干カマをかけている)」「コートも着ずに…」などと言うと「うん、、、、」となんとなくぎこちない雰囲気で、さらにわたしたちが駅へ帰るのと同じ方向に家があるはずが、お金を貸してくれた場所で解散し道路を渡ってよくわからないビルへ入って行ったのを目撃してしまったのだ。わたしたちは、よくわからないけどあれは2人で意図的に消えたと結論づけて、適当なコンビニでその子から貸してもらった千円で海鮮肉まんという肉なのか魚なのかいまいちわからない具の入った肉まんを食べて帰った。

だからと言って、いけ好かない男と消えた友達とわたしの友情が壊れるということはない。これが女の友情のややこしい、男の子からすると「怖い」部分なのだ。きっと、次に会った時わたしとその友達とはお互いに何も知らないふりをしてスムーズにコミュニケーションを取るのだと思う。ああ、自分で書いてても異常。でも大人ってそういうことだよって篠原涼子が言ってそうだし、頑張って生きていこう。

 

なんか、今日は嫌いなものばかりだった気がする。そういえば飲み会でも「なつきちゃんって嫌いなもの多いよね」って言われてさらに「アンチテーゼの塊みたいな」って言われてアンチテーゼというワード自体にピクリとしてしまった。

 嫌いなものが多いというか他人の嫌な部分しか見つめられないのかもしれない。はじめは欠点なんてない、素晴らしいところばかりだと思ってても最後には素晴らしいと思っていたことが決定的な欠点になってたりもするし。まあこれが熟年離婚の原因になるとかよくテレビで言ってたりするから普遍的な感情だと思うんだけど。まあそれはそうとして、嫌いなものをすぐに嫌いだと表明するからなのかもしれない。ブロッコリーきらーい、マヨネーズきらーい、サチモスきらーい、池袋きらーい、わざわざ一眼で撮った写真をインスタグラムに上げるやつきらーい、みたいな。しかもそれに大した理由なんかないし、ブロッコリーとマヨネーズ以外は。でも、付き合いが長い人やものには愛とか情が湧きやすいチョロチョロパーソナリティだし、身内には甘いので一眼で撮ったブロッコリーにマヨネーズをつけて食べている写真を池袋で撮ってご丁寧に位置情報まで添えてインスタグラムにアップロードしてても許しちゃう。ああ、これ自分語りだ。嫌い。

 

 

 

 

 

1月21日

 

 

朝、一瞬バイトを休もうか悩んだけどまあ行くかと思って5分遅刻して新宿に行った。

 

バイト中は、仲良しの女の子と、ずっと嫌いだったけど昨日話してみたら意外と嫌いじゃなかった人と3人で作業してた。昨日休憩中に話してみたら意外と嫌いじゃなかった人は、やっぱり嫌だった。でも、もう嫌いではないと思う。悪い人じゃないけど言い方がやだ。いつかもう少し仲良くなったら指摘しようと思う。仲良しの女の子は、可愛くて素直で一生嫌いになることなんかないとあらためて思った。

 

あと、比較的仲良しめな男の子が「今日俺デートなの」って嬉しそうにしてて、微笑ましかった。その子は初めて会った時に「僕はチェックシャツにパーカーを羽織ってジーンズを履いているような質素な女の子が好きだ!」と力説していて、チェックシャツにパーカーを羽織ってジーンズを履いている女の子が質素なのかと言われるとそこは微妙なんだけど、なんかそこそこイケメンのくせになんでこんなに素直じゃない子に育ってしまったんだろう、と思って以来仲良し認定している。わたしには兄弟がいないのでなんとも言えないけど、弟がいたらこんな感じなのかなって勝手に思っている。本当に勝手に思ってるからそれを本人に伝えたらキモいと思われそうだし絶対に言わないけど。

 

午後2時半に休憩に入ると、年末の懇親会で仲良くなった25歳だけど18歳ぐらいに見える同僚の女の人が泣いてた。夜の仕込みが終わらないのに4時には上がらないといけないのが申し訳ないと言って声を詰まらせていて、なんだかすごくこの人を助けてあげないといけないと思って、頑張って「今日は人数少ないし仕方がないですよ」とか「〇〇さんがそんな背追い込む必要はないですよ」とか言ってたけど、あんまり入ってなかった感があった。多分楽天的で無責任なわたしにはそうやって自分を追い込んだ経験がないから、言葉に深みがなかったんだと思う。でも、帰り際にはけろっとしていたので多分一時的にパニックになっちゃっただけなんだと思う。でもそういう時ってパニックになった主な原因以外にもたくさん抱え込んでたり不満があったりするかもしれないから辞めてしまわないかが心配。辞めてほしくないなあ。

 

それでなんとなく作業して16時にバイトを終えて皮膚科に行った。適当に選んだ割に気に入ってる皮膚科なんだけど、泌尿器科が併設されてて、今日は全体の70%ぐらいが泌尿器科患者だったと思う。わたしのちょっと後ぐらいに泌尿器科患者と思われるおじいさんとヘルパーさんが来て、その二人がなかなかの音量で話していた。そのおじいさんはおそらく認知症が入っていて、しきりに誰かが迎えに来るのかとか、早くどこかに行かないと、とか言ってた。

それを聞いていて、地元にいる認知症の祖母を思い出した。母方の祖母はわたしが物心ついた時にはもう認知症が始まっていて、中学生になった時ぐらいにはわたしのことが誰かもわからなくなっていた。たまに祖父母の話になった時に「祖母は認知症でもう私のことが誰かなんてわからないし、まともに会話することもできない」と言うとなんとも言えないバツの悪いような神妙なような顔をされるのだけど、祖母がわたしのことを誰かわからなくなった時、特に悲しいとかそういう感情は湧かなかった。おそらく、いつかそうなることがわかりきっていたからなんだと思う。だからそのことで泣いたりはしなかった。 でも、この間実家に帰って、老人ホームに入っている祖母の顔を見に行った時、母親が「なつきも20歳になったんやで」と祖母に語りかけた途端、ボロボロと泣いてしまった。その後すぐ母親が気を利かしてくれたのか席を外して、そうなると軽く嗚咽するくらい泣いてしまった。なぜ泣いたのか詳しくはわからない。でも、祖母と会話をすることもできなくなりつつある状況が悲しいとかそういったことではなかったと思う。それについてはきっとわたしなんかより母の方が悲しいに違いない。にもかかわらず泣いてしまったのは、まだわたしのことを孫だと認識できていた時のことが懐かしかったから、という気がする。あの頃と現在を比べて、あまりにも遠く離れてしまったことが恐ろしくなったような気もする。

ボロボロと泣いているわたしを、祖母は困ったような笑顔でみて何か言っていた。

 

そんなこんなで、総括するとちょっとセンチメンタルな1日だった。あと、将来何があっても泌尿器科には通いたくないなと思う。

 

まあそんなこんなで、日記でも書くかなっていう試みを深夜に思いついて半年ぐらい前に作ったまま放置していたはてなブログに書いてみたわけです。さ、寝よ