にっき

メイゲツタカハシの日常

9月14日

 

9時半に起床。すこし前までは用事もないのに6時ごろに起床する生活を送っていたのに、家で仕事をするようになってからどんどん生活リズムが夜型になっている。どうして夜の方が仕事が進むのだろう。どうせなら朝8時とかから仕事を始めたい。

 

最近、寝る前にダウントン・アビーを見て寝るのが習慣になっているのも夜型になっている原因かもしれない。
貧乏性なので、寝る直前まで何か読んだり見たりしていないともったいないような気がしてしまうので、何かをしながら寝落ちすることが多いし、それが最適だと思っている。でもダウントンアビーは眠気がこないくらいの面白さをずっと保ち続けているので、結局寝落ちできないのだ。眠気がこないくらいの面白さをずっと保ち続けるのはとてもすごいことだ。


イギリスの時代劇なんてとんでもない策略と伏線が張り巡らされたとんでもなく複雑で難しい人間関係が展開されるのではないだろうかと思っていたのだけど、見始めるとそうでもなくて驚いた。出てくる人たちみんな悪巧みをしたり、いやーなことを考えたりするのだけど意外とみんなスケールがちっちゃい嫌がらせレベルのことしかしない。でも、だからといってショボいかと言われるとそれがそうでもなくて、そのスケールの小ささが逆にリアルで本当に嫌な気持ちになったりする。

 

そういえば、最近キリング・イヴも見た。作中に出てきたコートが欲しくなって調べたら3000ドル前後だったので諦めた。フィービー・ウォーラー=ブリッジを崇め奉る会、日本法人会長なので、わーーーーーーって言いながら見た。なんでも「わーーーーっ」って言いながら見れる幸福な人間なので。

 

そういえば最近夜通し何かを流しながら寝ることがなくなった気がする。すこし前までは一日中なにかしらのドラマ(ドラマだったら自動再生でずっと次のエピソードが流れるから)を流していたが、最近はあまりそれをしなくなった。

 

打ち合わせから帰る道中、電車の中で薄いオレンジのワンピースを着た女の人に肩がぶつかってしまって、その後にもまたぶつかってしまった。するとその女の人はすごく嫌そうな顔をして少し離れた場所に移動した。都営線は狭いのでそういうこともあるだろうに、と思って「そんな嫌な顔しなくてもいいのに」と思ってすこし嫌な気持ちになった。それと同時に、「わたしというキャラクターのこの状況における立ち位置」について考えた。もしもわたしがこの物語の主人公であったならば、わたしの感じたことに多くの人が共感するだろう。なんなんだよあの女、9月なのに麻のウェッジソールサンダルなんか履きやがって、といった具合に心の中で悪態をついたとしてもまあ許されると思う。でも、彼女が主人公だとしたら、きっと「なんなんだよあの女、何回もぶつかって来やがって、チャンキーヒールなんか遅くとも昨シーズンで終わってんだろ。だいたいなんだあのシワシワのシャツ。アイロンぐらいかけろよ、だらしない」と思うだろうし、わたしが心の中で思ったことを知ればきっと頭がおかしいんじゃないかと考えると思う。

 

わたしはわたしのことをよく知っているので、自主映画の撮影をしたときに持ち出したうちのアイロン台をロケ先に忘れて、結局そのままになっているせいで我が家にアイロン台がないことや、チャンキーヒールは流行っているとか流行っていないとか関係なく好きだから履いていることも知っている。

 

他者のことを思いやろうとか、謙虚に生きようとか、そういう心掛けは大事だけれど、わたしにはあの薄いオレンジのワンピースを着た女の人がどう思ったかなんて到底わからないし、彼女にもわたしがどう思ったかなんてわからない。結局のところ、多かれ少なかれみんながみんな自分のことを主人公だと思って日々暮らしているのだから。だからこそ言葉を尽くすことや、自分以外の人への気配り、他人を慮ることはとても大切なのかもしれない。ものすごく教訓めいていて恥ずかしいけれど、他人に目を向けられる余裕のある人間で居続けられるように努力しなきゃ、と思った。ただ、彼女のことを積極的に肯定してやろうとは思わない。わたしはわたしの人生において主人公だし、それは疑いようもない事実なので。

 

最近パンが好きになった話も書こうと思ったけれど、つかれたのでおしまい!