にっき

メイゲツタカハシの日常

5月30日

 

5時44分に起床。日没と共に眠り、夜明けと共に目覚める生活だ。実際そんなに早く寝ている訳ではないのだけれど。

 

起きてすぐは特に何もしたくなかったし、午前6時から仕事ができるタイプの人間ではないので3時間ほど本を読んだり先々週頃まで襲われていたひどいふさぎの正体に思いを馳せたりしていた。

私はだいたい5月か6月のちょうど暖かくなってきて半袖に切り替わるといった時期になるとものすごいやべえ精神状況となり、何かしら自己破壊的な行動に出ることがある。おそらく冬の間に溜めに溜め込んだストレスや鬱憤が一気に噴出する時期なのだと思われる。ここ数年の主な実績でいうと「親友に絶縁状を叩きつける」「生活の見通しが全く立っていないのにバイトをやめる」「結構長く書いていた卒業制作のプロットのデータを完全消去する」などが挙げられる。もちろん対外的には割とけろっとしているし、自分で修復できる範囲の破壊しかしないのでお取引先の皆様におかれましてはどうぞ安心して欲しい。

今回は大学時代に必修だった保健体育でレポートを書かされた際にちらっと読んだ認知行動療法の手法をかなり適当に取り入れて編み物を始め、毛糸を買いに近所の手芸屋まで散歩に行ったりしていたのが功を奏したのか、特に自己破壊的行動を発起することはなかった。

だからといっていつもよりもふさぎが軽かったというわけでもなく、おはようからおやすみまで隙あらば過去にしでかした大きな失態の記憶が浮かんでは消えを繰り返すため、仕事だとか編み物だとか何かしらで脳みそをフル稼働させておかないと世間様に土下座行脚をし始めるところだった。

ちなみにあえて「ふさぎ」というあまり使われない言葉を使っているのは『告白と呪詛』でシオランが繰り返し使っている言葉だからという理由が表向きだが本当のところは直接的な言葉を使った時に「この人精神的に不安定だから仕事依頼するのやめよう」とか思われたら困っちゃうので「ふさぎ」という若干ポップな言葉でごまかしているのである。なら書くなよって話なのだけれど、芸能人とかがラジオではテレビよりゆるい感じでやってるのと同じ感じで、この日記もツイッターとは一線を画したありのままの感じにしたいという高尚な目的があるのだ。

今回の「ふさぎ」の原因はおそらく所属感のなさが原因だと思う。なんというか、もう大学生ではないし、友達はみんな散り散りになって社会の有象無象と戦っているし、私が明日死んでも誰も気づかないかもしれない、なんて思ってしまったのがことの発端だったのかもしれない。

ふさぎ中には「私が死んでも誰も気づかないなんて、ひどい! 理不尽だ!」だなんて思っていたが、今冷静になって考えると私も友人の誰かが孤独死したところで絶対に気付かない自信がある。下手をするとお通夜や告別式の連絡すら来ないかもしれない。基本的に交友関係は誘われたら行く、のスタンスを貫き続けて24年の月日が経ってしまったタイプの人間なので、わざわざ連絡して友人の様子を尋ねるなんてことは絶対にしない。するとしたら、めちゃくちゃどうでもいい写真かめちゃくちゃかわいいわん様(お犬様のことである)の写真を送りつけて「うけんべ」とか「ラブい」とか言うぐらいである。それをスルーされたとて特に何も思わないのでやっぱり絶対に気付かないと思う。ごめん、みんな。葬式は誘われたら行くのでぜひ誘ってくれ!

 

かなり話が脱線してしまったが本来の目的である本日の日記に戻りたいと思う。

 

9時すぎから5時間ぐらいパソコンに向かった。仕事がはちゃめちゃに進んだかと問われれば微妙なところだが、全く何もわからなくなったので一度休憩しようと思って『江分利満氏の優雅な生活』を見た。そう、今回のこの軽妙と呼ぶか珍妙と呼ぶか微妙なラインのうねうねとした文体はそのせいであると思われる。

 

映画を見終わってもう一本とも思ったが仕事を進めたかったのでパソコンを開いたものの開始30分で脳みそすっかんぴん状態になってしまったのでやめだやめだ!飯食うぞ!酒飲むぞ!となって、明るいうちから失礼しやすなんて一人で言いながら黒霧をチビチビと飲みつつレタスと豚肉と春雨とネギを中華スープで煮込んだやつを作って食べた。火を入れたレタスもしゃきしゃきしていてよかったし、いつもとは一風変わったレシピに挑戦したことでワクワク感も味わえて嬉しかった。

 

そのあとまたお酒が入ったらエンジンがかかって仕事ができるのではないかと思いパソコンを開いたものの、やはり依然として脳みそすっかんぴん状態が続いていたのでこうしてはてなブログを開いたわけである。

 

 

明日はどこかしら場所を変えて作業をすれば何かしら脳神経の回路が違う感じになって仕事が進むかななどと目論んでいる次第である。

 

 

おしまい!